90年代生まれの戯言
田舎者のつぶやきブログ
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救急車に運ばれた怪我①

9月9日 救急の日
この日は現在の厚生労働省が1982年に制定した日とのことです。

語呂合わせできゅう(9)きゅう(9)に因んでのことの様です。

救急業務や救急医療について一般の理解と認識を深め、救急医療関係者の士気を挙げることが目的とのことです。

今日はそれに関連して医療の話。
皆さんって救急医療とか救急車に運ばれたことってありますでしょうか。

あまり誇らしい話でもありませんが、私は今までで二回ほど救急医療を受けたことがあります。
今回はその話をつらつらと書いていこうと思います。

まずは1回目。これは火傷をした時の話です。
当時私は小学三年生で家には自分一人しかいないときでした。

私の家は両親が共働きだったためいわゆる「鍵っ子」という位置で小学3年生にもなると自分でコンビニ弁当買ったり、近所のラーメン屋で飯を食べるなどができるようになります。

そんな中でそのときは家でカップラーメンを食べようとして準備をしている時でした。
私はやかんに水をなみなみ入れて火にかけて、その間にカップ麺のかやくやスープの粉を開けて準備していました。

そしていつものようにやかんからグツグツという音が聞こえてきたら火を止めて、両手でやかんを持ち、カップ麺にお湯を入れます。

そして一息ついてテーブルの鍋敷きにやかんを「半身」で置いてしまいました。

これが最悪の事態を招き、テーブルに置いたやかんはすぐさま下に落ちてしまい、なみなみ注いでなお余力を残していた熱湯が地面に四散します。

近くにいた私はこの熱湯を足にあびてしまい、熱くてすぐに膝から崩れ落ちます。

これが結果として非常に良くなく、膝で熱湯の水たまりに漬かってしまったため、私の膝は大やけどを帯びてしまいました。

ただ当時の私は火傷というものがどういうものかわからず、火傷したときも長ズボンを履いていたせいで見た目は全然わからないのです。

火傷を帯びた後の私はいつもの擦りむいた傷くらいの痛みですぐにおさまるだろうと思い、その場を離れて呑気にテレビを見て落ち着こうとリモコンでチャンネルを選び忍たま乱太郎を見ようと教育テレビにチャンネルを合わせてソファーで待機します。

しかし、いくら時間がたっても痛みが全く引きません。むしろ膝はどんどんとじんじん痛みが強くなります。

私はここで初めて恐る恐る長ズボンの腹をガバっと開けて痛みの元である膝を覗きます。

そこには私がいまだかつて見たことがないぐちゃぐちゃの膝が見えました。

膝の皮膚は長ズボンにべったり張り付いている状態です。

火傷を負ってから20分くらい経っていましたが、私はここでようやくこの怪我はやばいと思い、救急車にかけるのは怖かったため、すぐに連絡が取れる近所の祖母に泣きながら電話します。

すぐに祖母は駆けつけてくれて、病院に直行します。

そこからは突然の訪問にも関わらず、適切に処置をしてくれたお医者さんのおかげで痛みはどんどんなくなっていきました。

たぶん一番医療で感動したのはこの時の治療だったと思います。

膝の皮膚が全部なくなったのに数か月するとしっかり再生しているんですから、しかも痛みも段々となくなっていきますし。

あれでもう少し若いか、高学年の時であれば、医者を目指していたかもしれませんね。

2つ目も話そうと思いましたが、長くなりましたのでいったん本日はここまでにしようと思います。また次回。

それでは、また。