90年代生まれの戯言
田舎者のつぶやきブログ
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サイボーグ009が来ない世界へ

7月18日 今日はサイボーグ009の日
1964年のこの日は漫画家 石ノ森章太郎先生が「サイボーグ009」を週刊少年キングで連載を始めた日だそうです。
懐かしいなーサイボーグ009。作品自体はだいぶ古いですが、2000年代にアニメがやっていてめちゃくちゃハマって見ていました。
サイボーグ009のテレビシリーズは何回も作り直されていて、私が見たのは3つ目の俗にいう「平成版」にあたります。
キャラクターデザインの紺野直幸さんが描くキャラクターは一番後期の原作に近いテイストになっており、ストーリーもアクションもどれも一級品でしたね。加速装置の演出なんかは私の妄想の中でもよく真似てました笑

今日は続けてサイボーグ009の話
皆さんはサイボーグ009って知ってますか?
まずは概要から(以下Wikipedia)

それぞれ特殊能力を持つ9人のサイボーグ戦士の活躍や日常を描く長・中・短編の作品群からなる。ただし完結編にあたるシリーズの完成前に作者が死去したため、作者自身による漫画作品は未完に終わっている。
石ノ森作品に多く見られる「力を授けた者(=親・同族)を裏切り、その野望に対し唯一対抗し得る存在として孤独な戦いを続ける」というテーマを持つ。1960年代の米ソ東西冷戦が背景になり、ベトナム戦争を舞台にするなど反戦色のあるテーマが色濃く出ているのが特徴である。それらと並び、世界各地の神話や古代文明に題材をとったシリーズ、人種問題や異文化同士の軋轢、文明社会の抱える問題について考えさせられるエピソードも多い。主人公たちが出会った人々の内面の葛藤や、人間と機械の狭間での悩みなどもテーマとして取り上げられるが、基本的には石ノ森作品に共通する、正義を守るヒーローの姿に哲学的な重みを持たせたシリーズである。

この作品の魅力的なところはそれぞれ国の違うキャラクター達が協力して悪の組織を倒すという構成が今でも珍しい構成というところではないでしょうか。
またサイボーグという人間ではなくなってしまったキャラ達が持つ悲哀も重くのしかかっており、端々のセリフには人間に対する説教じみた内容も第三者目線で言うことで受け入れやすくなっているような構図は非常にうまい設定だなーっと素人ながら感心してしまいます。
そして本作の敵である悪の組織ブラックゴーストのラスボスなんかも衝撃的だったりとアニメで見ていて最後まで飽きない展開でした。

最近は3Dアニメとしてサイボーグ009シリーズが出るようになっていてルパン三世やサザエさん、ドラえもんといったご長寿コンテンツほどコンスタントに作品を出してないにしろ息の長い作品になっています。
昨今は白人黒人による人種差別などがぶり返していたり、一歩間違えれば戦争へ突き進むような不安定な現実世界では今こそこのサイボーグ009が必要なのかもしれないなと考えたりしています。

ちなみに私の好きなキャラクターは002(ジェット・リンク)と004(アルベルト・ハインリヒ)です。
まずどちらも平成版を見ての感想ですが、002は設定にロマンがあるんですよね。

002の特殊能力は足がジェット機のようなブースターがついており、マッハの速度で飛行することができます。
また主人公009の特殊能力「加速装置」のプロトタイプ版を002はもっており、作中ではあまりこの加速装置は噛ませてきな役割でしか活躍しませんでしたがスペックだけ見たらなかなか強いです。

次に004ですが、彼の特殊能力は身体の中にあらゆる兵器が仕込まれており、近・中・遠距離の相手に対応できるオールラウンド型の戦闘が可能な能力になります。作中でも戦闘シーンでは欠かせない役回りになっているため、ファンは多いのではないでしょうか?

それに基本的に加速装置中は009と002以外のキャラでは対応することができないのですが、唯一004は加速空間を看破したことがあるほどの実力者です。この看破したボグート戦は原作、平成版どちらも名シーンで頭の中で再生できるほど見直したくらい好きなシーンです。あと平成版の004のCVは飛田展男さんが演じていて、いい声なんですよねー。というか基本的に平成版は声優が全体的に豪華ですね。

時代を越えてなお愛され続けるこの作品。その理由の一つは今でも解消されない人種問題や紛争などの争いが終わらないため、どうしてもサイボーグ009が登場してもおかしくない状況を想起させてしまうからなのかもしれませんね。平和な世界であれば彼らは出てくる必要がありませんから。早くそういった世の中になればいいなー。
それでは、また。